福澤諭吉
「福翁自伝」の一節で要約すると、
諭吉本人が、
士族のような横風な態度で百姓に道を尋ねると丁寧な対応だった。
小さく丁寧に百姓に道を尋ねると横風な態度であしらわれた。
自分より上の者には媚び、下の者は尊大に出る。
文明開化、四民平等となっても人民は変わっておらず、落胆したということです。
そして立派な国民に成るには学問、教養が重要であると論じています。
現代でも変わっていないと思います。
私がアパート契約をしたとき、不動産屋の担当者は私が実質無職だと知ると高圧的な態度になりました。
次に貯金額を聞かれたので答えると、調子が下がったように担当者の態度が変わりました。
岡倉天心
1903年(明治36年)、岡倉はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、横山大観、菱田春草らの弟子を伴って渡米した。羽織・袴で、一行が街の中を闊歩していた際に、1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた岡倉は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と陽気な英語で言い返した。
- <原文>
- What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?
- We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?
引用元
昭和天皇
「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)
引用元
マッカーサーを感動させた、昭和天皇のお覚悟と天真の流露 | WEB歴史街道